山口家庭裁判所 昭和63年(少ハ)2号 決定 1988年10月21日
少年 T・S(昭43.4.3生)
主文
本人を昭和64年3月3日まで中等少年院に継続して収容する。
理由
(申請の要旨)
本人は、昭和62年12月4日山口家庭裁判所で中等少年院送致の決定を受けて、同月5日広島少年院に入院し、同月19日少年院法11条1項但書による収容継続決定がなされたものであるが、昭和63年12月3日をもって同決定による収容期間が満了となる。
本人は、昭和63年8月18日1級上に進級しているものであるが、その間人吉農芸学院に入院して大型特殊運転免許を取得し、個人別教育目標であった「自活していく心横えを養わせる」との点では、その資格を生かした職業生活についての展望が得られた。そこで、昭和63年11月1日を仮退院希望日としているが、本人には、知的能力の低さ、また改善されつつあるとはいえ、歪んだ形の対人認知が依然認められるうえ、実父、実兄とも消息は不明であり、帰住地として山口県下関市内の更生保護会「○○寮」を予定している。
以上のような本人自身の資質や社会内での更生に必要な人的資源の不足を考慮すると、仮退院後4か月程度の保護観察が必要であり、保護観察の確保を目的とした収容継続の期間としては、収容期間満了後3か月間は必要である。したがって、本人については、昭和64年3月3日までの収容継続の決定を求める。
(当裁判所の判断)
1 本人は、小学生時に実母が死亡し実父が所在不明となって、生きていくために万引をするなどの問題行動が現れ、小学高学年時から中学卒業まで教護院で生活を送った。その後本人は、1年間程塗装店に住込就労したものの対人関係等でうまく行かず、再び教護院に戻り、1年後に自衛隊に入隊したが、訓練について行けず、昭和62年6月に除隊して所持金28万円位を手にして山口市内で住込仕事を探していたところ、仕事先がなかなか見つからず、そのうち所持金も遺い果たして寝食にも事欠く状態にまで至って、車上狙いの窃盗事犯に及んだ。
そこで、当裁判所は、本人のこれまでの生育歴、勤労意欲等に鑑み、試験観察(補導委託)に付したが、本人は、委託先で土木関係の仕事に就かせて貰えるのではないかとの思惑に反し、ホテル部門での就労を勧められたことに対し、自らの意向を表明することができないまま不満を募らすとともに、仕事への自信をなくし、程なく逃走して行方をくらまし、生活に困った挙句、投宿中の旅館などで宿泊客の所持品、現金等の窃盗や同未遂を重ねた。
そのため、本人は、当裁判所で昭和62年12月4日窃盗、同未遂保護事件により中等少年院送致の決定を受け、翌5日広島少年院に収容された。
2 広島少年院における本人の生活態度は、当初積極的な対人面での関わり合いは極めて乏しかったが、違反行為はなく順調に推移し、昭和63年5月11日以降8月17日までの間人吉農芸学院に転院して建設機械運転科訓練課程に編入され、知的能力に問題があったものの、何度か試験に挑戦して漸く大型特殊運転免許を取得した。かくして、この資格を生かした職業生活への展望が得られ、本人も、将来資格を生かした仕事に就きたい意向を抱いており、自活していく心構えは達成できたものといえる。
そして、本人は、昭和63年8月18日1級上に進級し、同月22日仮退院を申請されるに至り、同年11月1日仮退院を予定されているが、本人自身の不遇な生い立ちに基因しているものと思われる自主性の乏しさや円滑な対人関係の欠如等の問題があり、これらの基本的性格は、現在もなお、それが犯罪的傾向に結びつかない程度にまで矯正されたものとは認め難い状況にある。
3 他方出院後の受入れ態勢をみると、実父や実兄は所在不明であって、本人には帰住すべき家庭はなく、また本人の監護を行うに足りる近親者もおらず、帰住先として前記「○○寮」が予定されているが、この施設は更生保護会であるため、そこへの帰住が認められるためには仮退院(保護観察付)でなければならないという特別の事情が存在する。
4 ところで、本件のように、専ら仮退院中の法定保護観察期間の延長を目的とした収容継続が許されるか否かについては問題があるところであるけれども、収容継続は、もとより20歳を越えた者に対しても保護処分を例外的に科する手続であるから、通常の保護事件に比べよりいっそう厳格適正な運用が要請されるところ、本人の犯罪的傾向がいまだ矯正されていないため、出院後の受入れ態勢や保護環境などを考慮し、収容期間満了後も引き続き保護観察に付することが本人の再非行の防止という観点から必要不可欠であると認められるような特別の事情が存する場合には、その申請を許容できると解するのが相当である。
そこで、これを本件についてみると、本人については、大型特殊運転免許の資格取得による将来の職業生活への展望や帰住先の意向からみて、収容期間の満了をまたず仮退院させることが適当であると考えられるけれども、前記のとおり本人の基本的性格がその犯罪的傾向に結びつかない程度にまで矯正されたとは必ずしもいえない状況にあり、しかも受入れ態勢が不十分で当面の帰住先として予定されている施設は更生保護会であって、出院後の保護環境が必ずしも十分ではないこと等の事情の存在が認められ、これらの事情を勘案すると、仮退院後少なくとも4か月(収容期間満了後3か月)の期間専門機関による適切な指導援助が必要であると認められる。
そうだとすると、本人については、本件申請どおり、その収容継続の期間を昭和64年3月3日までとするのが相当である。
よって、少年院法11条4項、少年審判規則55条により主文のとおり決定する。
(裁判官 山崎勉)
〔参考〕 収容継続申請書
広少発第745号
昭和63年9月13日
山口家庭裁判所御中
広島少年院長 ○○
収容継続決定申請
氏名 T・S昭和43年4月3日生
本籍 熊本県天草郡○○町大字○○××番地
保護番号 昭和62年少等1290 1323 1519 1603号 窃盗 同未遂保護事件
決定裁判官 以呂免義雄
上記の者は、昭和62年12月4日貴裁判所において中等少年院送致の決定があり、現在、当院において処遇中の者であります。
本年12月3日、少年院法第11条第1項ただし書による収容継続の期間満了となりますが、別紙の理由により、少年院法第11条第2項による収容継続の決定を願いたく申請します。
別紙
収容継続決定申請の理由
1 処遇経過
昭和62年12月9日 山口少年鑑別所から入院2級下編入
同年12月16日 考査終了予科編入二学寮へ降寮
同年12月19日 少年院法第11条第1項ただし書収容継続告知
(昭和62年12月4日から昭和63年12月3日まで)
昭和63年2月16日 本科前期課程 機械科編入
同年3月1日 2級上進級 皆勤賞
同年3月7日 更正保護会○○寮保護司A氏面接
同年3月25日 準備調査
同年5月11日 人吉農芸学院へ移送
(建設機械運転科訓練課程編入のため)
(以降の経過は人吉農芸学院)
同年5月11日 広島少年院から受送入院 建設機械運転科訓練課程受講のため2の上編入 院長面接 人吉農芸学院
同年5月11日 少年簿 少年調査記録受理
同年5月17日 建設機械運転科訓練課程編入
同年6月1日 一級下進級
同年6月30日 大特法令試験合格
同年7月13日 大特運転免許証取得
同年8月16日 車輛系建設機械運転技能講習修了
(以降の経過は、広島少年院)
同年8月18日 人吉農芸学院から還送昼夜間個別処遇
静思寮へ収容 一級上進級
同年8月20日 あけぼの寮転寮 出院準備課程編入
同年8月22日 仮退院申請
2 成績の推移
(1) 新入時教育期
個別的処遇計画設定期間は2、5か月。期間中の総合評定はB評価2回、C評価3回。総じて普通域。
新入時は、動作緩慢であり、積極的な対人面でのかかわり合いは極めて乏しかった。そのため一人で黙って読書したり、学習して余暇を過ごすことが多かった。しかし、慣れるにっれ、交談私語が有り注意を受けることがあった。
(2) 中間期教育個別的処遇計画設定期間は6か月、期間中の総合評定はB評価4回、C評価4回。
期間中違反行為はなく順調に推移した。昭和63年5月11日建設機械運転科訓練課程受講のため、人吉農芸学院に移送になった。人吉農芸学院においては、生活面は、無口で口下手、無表情でクールに動くし、笑顔の少ない性格、少々陰険で「何を考えているのか分らん。」という他生の評価もあって、他生と、とけ込んだ生活ではなかった。しかし生活の決まり等は正しく守って生活していた。
学科面、大特学科の本番テストでは失敗、再試験で合格、車輛系に至っては、5回目で合格した。これは、能力の低さ、本気になって努力しない集中力不足というところに原因があったと思われる。
(3) 出院準備教育期
個別的処遇計画設定期間3か月昭和63年8月18日人吉農芸学院から還送同日付けで一級上に進級指導継続中
3 心情状況
(1) 精神状況
ア 知能
山口少年鑑別所で実施した知能検査によれば、IQ75(新田中IIIB式)で、知的能力は低く基礎学力も低劣である。
イ 性格
基底気分はやや暗く、情感は柔らかさに欠け、言動は粗野で乱雑であり、感情続制は不良で気が短く興奮しやすい。誰も自分のことを理解してくれないといった不満を持ち歪んだ受け止めをしやすい。
(2) 身体状況
身長 164.0cm 体重 62.0kg
4 受入状況
身元引受人 実父実兄とも消息は不明で、保護会帰住
帰住予定地 山口県下関市○○町×番××号 財団法人更正保護会○○寮
5 少年院の意見
入院後9か月を経過した現時点では、個人別教育目標1(感情を自制し規律正しい生活ができるようにさせる。)については、善悪の区別は、理解してきたし、役割活動も与えられたことには責任を持って行う事ができるようになった。実習においてもねばりが出て、根気が身について来た。個人別教育目標2(協調性を養わせる。)については、本少年の不遇な生い立ちに起因している、歪んだ対人認知の変容を図るという意味で、もっとも重点を置いた教育目標であった。主に個人別教育目標3(自活していく心構えを養わせる。)に関連することであるが、少年院が費用を負担して、人吉農芸学院に移送し、大特免許を取得させた。この間、個別担任等との文通をくり返しながら、成績は不良ながらも再試験で合格した、という経過は、少年にとって、対人関係の面からも、大きな成功体験と言える。残期間で、さらに指導を徹底していきたい。
個人別教育目標3(自活していく心構えを養わせる。)については、大特免許を取得してこの免許を生かした職業生活についての展望が認められる。
このような成績経過であるが、別添、環境調整報告書(写)にあるとおり、実父、実兄とも消息は不明であり、帰住地は、財団法人更生保護会○○寮である。そして、仮退院希望日を、昭和63年11月1日と設定している。一方で少年院法第11条第1項ただし書きによる、収容継続の期限は、昭和63年12月3日であり、保護観察とした社会内で指導を受ける期間は、1か月余しかない。
本少年の知的能力の低さ、また、改善されつつあるとはいえ、歪んだ形の対人認知が、依然、認められること、及び、社会内で、更正に必要な人的資源が乏しいことを考慮すれば、補完的な教育という意味での保護観察の期間は、4か月程度は必要と考える。
したがって、保護観察期間の確保を目的とした収容継続の期間は、昭和63年12月4日から昭和64年3月3日までの3か月間が必要であると思料する。
6 添付資料
(1) 個別的処遇計画表
(2) 環境調整報告書(写)
(3) 再鑑別結果通知書(写)
(4) 成績経過記録